東京撃剣倶楽部
既に失伝してしまっている古武道流派の天然理心流。縁あって多数ある形覚えの古文書を手にする機会があり、私なりにそれを読み合わせて分析したものを撃剣體躁法に使用しています。
The Tennen Rishin-ryu school has already been lost. By chance I had the opportunity to get my hands on a number of ancient documents whose shapes I could remember, and I use my own analysis of that, which I have read and compared, in the Gekiken Taisoho.
流祖近藤内蔵之助長裕は遠江の人で、鹿嶋神道流を学び天明か寛政の頃に天然理心流を創始したとあります。内蔵之助による最古の切紙伝書は寛政5年のものが発見されているようです。天然理心流は剣、柔、棍(棒)、気合術の四術によって構成されていたと言われています。
ニ代目坂本三助の急逝で気合術は失伝してしまいますが(気術はこのときは失伝していません。)、内蔵之助の高弟小幡万兵衛によって、実質的な三代目といわれる増田蔵六にその他の三術は託されました。そこから多摩地域の松崎正作や山本満次郎などへ伝わっていきます。神奈川では桑原永助なども三世代目となり、こちらにも横田右馬之助や小野田東市など有力な傳人たちが名を連ねており、漆原権左衛門も小幡から免許、桑原から指南の許しをもらっています。横田右馬之助は埼玉の方でもその伝系を広めています。また、近藤三代目を自ら名乗った島崎周助からはご存知新選組の近藤勇や沖田惣次郎などの名前が挙がってきます。
しかし現在に至っては、この流れのいずれでもその伝系は途絶えてしまっています。
三助の頃には門人が1500人いたとも言われています。その後も三助、小幡からでた師範たちが多くの門人に天然理心流を伝えました。武州相州の地に根付いたローカルな流派ではありましたが、かなり多くの門人がいたことは間違いありません。
天然理心流は、地域の名主、旗本、御家人や千人同心などに広まっています。天然理心流の門人が多かった八王子千人同心は、徳川家康の関東入国の際に、甲州武田氏の遺臣団が徳川氏に付属して甲州街道の防備として八王子近村に土着させたのが始まりだといいます。禄は少ないものの徳川幕府とのつながりは元々深かったといえるようです。
また、小野田東市は神奈川奉行所の武術師範をしていて、短期間であるものの講武所が陸軍所に合併されるまでの間、そこでも師範役も勤めていました。
また、その弟子の川村惠十郎は一橋慶喜の側近平岡円四郎の護衛を勤めていました。このようにむしろ中央との関わりが浅くはない流派だったのではないかと感じさせます。
柔術には捕縄が入っており、剣術においても捕り抑える技術が組み込まれているので、元々御家人や同心たちのような治安維持に直結する捕り物の為に構成された流派で、幕府役人の中で暗に実働の方々に採用されていた流派の一つだった…などと私個人で妄想しています。
〈参考資料〉
▪「武術天然理心流 上 新選組の源流を訪ねて」 1978 小島政孝
▪「八王子の天然理心流 受け継がれた剣術·柔術·棒術」 2008 八王子市郷土資料館
天然理心流は切紙、目録、中極位、免許、印可、指南免許という流れで修業段階を進んでいきます。
切紙では、表木刀に始まり、陰橈、試合口、柄砕、鐺捌、奏者、柄之事、先之事、應之事、草位などが伝書の項目に挙がってきます。一部表記されている形の覚書を読むに、組太刀では打ち込み、受けを繰り返しながら、技や体を練っていく体系のように読めます。柄砕、鐺捌、奏者は帯刀する者が抜刀を邪魔された時の対処法のような柔の業です。
目録では、実際的な雰囲気の中で、太刀での基礎的な仕掛け技を四本習得していきます。その他に小具足身除之位という小太刀や太刀を持ちながらの柔術技が七組あります。これはとても簡単な内容から、少しずつ複雑な過程を踏んでいくようにできているように見えます。また、目録では行心という秘訣が出てきます。これは秘する事と伝書に書かれており、大分大事な内容だったことが伺えます。
中極位では徐々にトリッキーさも出てきて、様々な構えをとり、刀身の中程を取ったり、片手打ちをしたりと、バリエーションに富んだ内容になっていきます。中極位は内容豊富で、ここでも柔術の業が七組出てきます。また、伝書の初めには切紙で出てきた表木刀、陰橈、柄砕、鐺捌、奏者などの項目が再登場しており、表木刀には気術を付与したとの文言が出てきます。このことは中極位で何らかの要素が加わることで上位のものに発展していることが伺えます。その他に居合九本、立合三本があり、柄砕などと合わせて修業していたように想像します。
免許では首の刈り方や無刀入身があったりします。組太刀は動きの順番をみるだけなら、中極位に比べると割とシンプルな印象ですが、そこには柔術の要素が合わせられており、天然理心流の特徴ともいわれる剣柔の一体がより体現されているように見受けられます。
天然理心流では「浮鳥之位」という荒波に漂う水鳥の様子を極意として表現しています。このことについて、丸太を水に沈めても浮いてくる様子や、柳が雪にたわんで折れない様子を極意としている他の流派と同じことを、天然理心流ではこう言うという主旨が、印可の文書の中で師と弟子の会話のやり取りという形で示されています。
これを見るに、天然理心流の求めるところは単なる剛剣という印象のものではないように思えます。